カセレス・リンダ
ベネズエラ
2.009年の日本語の弁論大会。
私の好きな物。
今日は、私の一番好きなスポーツ、キッキングボールについてお話したいと思います。
子供の時から、私はいつもスポーツが好きでした。私にとって、スポーツをすることは、精神を高め、友達と一緒に楽しんだり、学んだり出来る健全な方法でした。スポーツは、私を本当に幸せにしてくれます。スポーツは、全ての中で一番健全な物だと思います。
私は、色々なスポーツが好きでした。例えば、サッカーや、野球、バレーボールや、バスケットボールなどです。
けれど初めてキッキングボールを知った時、たいへん驚きました。なぜかと言うと、キッキングボールはサッカーのようにボールをキックしたり、ボウリングのようにボールを投げたり、野球のように本塁まで走ったり、更には、バスケットボールのように飛んだり、バレーボールのように手でボールに触ったりすることが出来るからです。
「これは面白い!」と思いました。その時から、とても興味を持って練習するようになりました。
中学校や高校で行われる、キッキングボール大会にはいつも参加しました。
キッキングボールであれば、だれとでもしました。17歳の時に、11歳の女の子と試合をしたこともあります。いつでもだれとでも熱狂してするので、学生時代は皆にキッキングボールキチガイと呼ばれていました。私は大きい試合に出たこともありませんでしたし、いわゆる素晴らしい選手でもありませんでしたが、本当に外で走ったり遊んだりすることが好きだったのです。
高校3年生の時に、キッキングボール高校選手権大会がありました。私はコーディネーターになり、チームの選手達を訓練して、大会で優勝させることが出来ました。 その時、全高校のキッキングボール・スポーツコーディネーターとして最優秀のメダルをもらい、とても感激しました。本当に寝てもさめても、キッキングボールに夢中でした。
その頃私は、このスポーツについては、少ししか知りませんでした。この情報を見つけることは、たいへん難しかったからです。
2007年の2月、私は子供野球とソフトボールの公式記録員として働き始めました。その仕事を通して、ベネズエラキッキングボール連盟を知り、公式ルールを手に入れたことは、とてもありがたかったです。更にその後、LLANOS国内試合において、私は公式記録員として採用されることになりました。その試合で初めて優秀な選手達と知り合うことが出来て、まるで夢のようでした。
私は前から、キッキングボールは単なるレクリエーションゲームではないと思っていましたが、それからはもっと確信を持つようになりました。 私の興味は更に膨れ上がり、色々な情報を集めて、キッキングボールのホームページを作りました。このホームページは、選手やコーチ達に大きな驚きを持って迎えられました。ベネズエラでは初めてのホームページだったからです。
その時から、私は、もっともっと情報を集め始め、キッキングボールについて理論的解析が出来るように、ホームページの完成めがけてがんばりました。全ての人がホームページを通して、キッキングボールの本当の概念を知り、更には、国内だけではなく、世界中にこのスポーツを広めることが、私の夢でしたから。
集めた情報の中で最も意外だったのは、このスポーツの歴史でした。皆は、キッキングボールは、新しいスポーツだと思っていましたが、それは違います。古いスポーツなんです。
少し説明しますと、1942年アメリカで、野球とサッカーを組み合わせたようなキックボールと呼ばれるゲームが生まれました。
それから、1965年にキッキングボールの母と言われているラミレス・チャリト先生がこのゲームのアイディアをベネズエラに持って来ました。
このゲームが、ベネズエラに入って来てから、44年になりますが、その間にベネズエラではキッキングボールと呼ばれるようになりました。それから、スポーツとして大いに発展して国内中で試合が行われるようになりました。
私は、キッキングボールの母、ラミレス・チャリト先生に会うことが出来て、とても感激しました。
ベネズエラには、ベネズエラキッキングボール連盟が存在し、独自の公式ルールや、公式ボールや、言葉、技術などがあります。
本当にキッキングボールは、とても楽しくて、珍しくて、素晴らしくて、特別なスポーツですけれども、残念ながら、まだスポーツ界では、レクリエーションゲームでしかないと言っています。
私の夢は、地域社会にキッキングボールチームを編成して、今後、国内や、国外でこのスポーツを普及させることです。その為、キッキングボールの国際的普及と選手達の総合スポーツトレーニングを目的とした学校を設立する計画をたてています。
名前は、インターナショナルキッキングボールスクールです。そこで選手達は訓練をし、理論を習い、環境保全、文化交流などの活動を通して、キッキングボールのスポーツ精神を養って欲しいと思います。
ベネズエラでは、まだこのような目的を持ったキッキングボール学校はありません。けれど私は今、着実にこの計画に取りかかっています。
私は全ての人達にこの女性スポーツである、キッキングボールを良く知って欲しいのです。
今日本語を勉強していますが、これからも色々な事をたくさん習って、上手になりたいです。なぜかと言うと、日本は私が外国で一番初めにこの素晴らしいスポーツを発展させたい国だからです。
それは、ちょっと難しいかもしれません。でも一生懸命頑張ります。
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